一応抵抗したにはしたが、結局斑鳩は付いて来た。
 風紀委員として、そして僕の身体を気遣って、おまけに朝辛いのは低血圧のせいではないということを証明するために。
 その証明は霜月が妨げてくれそうだが。
 そして。
「おっかえりー、むーちゃん!あれ?いかくんも遊びに来てくれたの?」
 玄関で迎えてくれたのは、霜月と、いつもそこに在中している犬の文月だった。
 もっとも、文月は寝ているが。
「遠いとこまでご苦労様だねっ。っていうか、珍しいよね、いかくんがうちに来るの。いかくんちって確かむーちゃんの学校から近いんだよね?って……すごい大荷物」
 斑鳩はあの後嫌がる僕を引き連れて帰宅し、荷物を纏め(纏めるのも手伝わされた)、そしてまた僕を連れてうちに帰宅したのだった。
 まだ家の人に了承を得ていないんだけれど……。
「睦月さんが今日一日、お昼御飯も食べずに熟睡していたので、管理するために参りました」
 怒りはまだ収まっていないようだ。
「そしてこれがその証拠です」
 無理矢理僕の鞄を奪い、手探りで弁当を見つけてそれを霜月へと差し出す。
「あれっ、今朝渡した時の重さのままだね……、むーちゃん?朝すっごく辛そうだなと思ったんだけど、授業受けなかったんだね?」
 霜月が今朝の怒りを思い出したかのように怒り出す。
「受けたよ。寝てたけど」
「寝てたなら受けてないのと一緒でしょ!もう今日からゲーム禁止っ!ネットだってできなくしちゃうんだから!」
 ゲームが全然できないのに、何故か機械いじりが得意な霜月だった。
 うーん、このままだとゲーム機全てを破壊されかねない。
 さらにこう付け足された。
「本当はむーちゃんにこんな仕打ちしたくないんだけど、このままだとむーちゃん高校卒業どころか進級が危ういから、むーちゃんのために涙を飲んでこう言ってるんだからね?しーちゃんはむーちゃんがだーいすきなんだからねっ♪」
 最後に思い切りの笑顔。
 穢れのない、それこそ、天使のようなそれは、それだけで僕の口を封じるのに十分だった。
「そうですよ、愛の鞭、ってやつですよ!」
 斑鳩が乗ってくることさえなければの話だが。
「……わかったよ。勝手にして。」
 そんなわけで、僕の地獄の毎日が始まった――。
 楽あれば苦ありとはよく言ったものだ。
 って、今日って『苦』の方ばかりじゃないか?だって、昼飯食べてないせいでお腹ペコペコの状態で、斑鳩に連れ回された上に玄関で夕飯とお弁当の微かな香りと文月の異様に強烈な臭いを嗅ぎつつの立ち話。
 地獄は既に始まっていたようだ。

 夕飯を食べ終えた頃には午後6時半を回っていた。午後8時から塾があるのにもかかわらず宿題を昨日のうちに終わらせられなかったため(もちろん夜遅くまでネットゲームをやっていたためだが)、急ピッチで終わらせなければならない。
 というわけで机に向かっているわけだが、この世で一番苦手な物理、終わるわけがない。まあ、他の教科も見せられたもんじゃないが、この教科は最悪、極悪、凶悪だ。すこぶる悪い。
「斑鳩……物理教えて……」
 やむを得ず、斑鳩に助太刀を頼む。
「うわー、睦月さんも勉強するんですね!」
「いいから早く。」
 学年一出来るだけあって、分からないことはないらしい。
 僕の苦手な物理を軽々と解いていく。正確に言うと、解き方を僕に教えてくれているのだが。僕のほぼ空に近い脳にも分かり易く教えてくれる。時々はしゃぎつつ、時々ウンザリしつつ。
 そうしているうちに終わってしまった。机の上に置いてある、小学校の卒業式で霜月が記念品として貰って来てくれたもののうちの一つである目覚し機能付きのデジタル時計が7時半を示していた。
「ありがとな、斑鳩。明日も、よろしく。」
「えぇ!?明日もですか?!」
「平日は毎日塾があるからね……」
 毎日行ったところで、頭にはほとんど入らないのだが、斑鳩ほどではないにしろ、僕の脳もなかなか謎に包まれているのかもしれない。
 どうせなら斑鳩と一緒の方がよかったなあと思いつつ、行く意味がほぼ皆無である塾へ行く準備をする。

 塾から帰ってすぐに風呂に浸かり、斑鳩に復習と予習と宿題を強制され仕方なくそれらを彼に見てもらいながら消化した。
 遊ぶためのゲーム類やノートパソコンなどは霜月に預けている(取られた)ために特にもうやることもなく、僕らはまだ午前0時を過ぎていないにもかかわらず、床に就くこととなった。
「で、なんで斑鳩、ここにいる?」
「ボクと睦月さんの仲じゃないですか!」
「まあ、確かに。中学から一緒だけどさ。霜月は嫌じゃない?」
「え?何で?って、霜月じゃなくてしーちゃんって呼んでって言ってるでしょ!」
「はいはい、んで霜月。」
「聞けや人の話。」
 ぽか、と霜月に殴られた。
 遊びすぎたらしい。
「しーちゃんって呼ぶのはみんなと一緒で嫌だし、そもそも僕に合わないんだよ、それ。」
「むーちゃんに合うってば絶対!だからむーちゃんもしーちゃんのこと、しーちゃんって呼んでくれないといじめちゃうぞ♪」
「話それてますよ、霜月さん!」
「あ、そうだねっ。みんなで一緒に寝ようよ!きっと楽しいよ♪」
 相変わらずの満面の笑顔。
 その笑顔に弱いんだよな、僕。
「まあ、霜月がそう言うなら。」
「しーちゃん。」
「しーちゃん。」
 顔を向き合わせながら真面目な表情で言い合う。
「さあ、寝ましょう!」
 斑鳩が僕らの剣幕に笑いそうになるのを堪えながらそう言うのを、僕は見逃さなかった。

 と、言うわけで。
 3人一緒の布団に入るのだった。
 左から、霜月、僕、そして斑鳩。
 霜月以外の相手と寝るのは久しぶりで、なんだかくすぐったかった。
 これが楽あれば苦ありの『楽』なのかなあなどと思わないでもなかった。